小出祐司プロフィール

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小出さんって、何者なんですか?

そんな事言われてもね。でも、実際に訊かれた事あるんです。今までの舞台活動で辿ってきた道筋だとか、考えている事なんかをお話したんです。そしたら凄く真剣に聞いてくださるんですね。
何でそんな風に聞かれるんだろう、とその時疑問を持ったんで、後日深く考えてみたんです。で、ここにひとつの答えを出してみた次第です。こんな感じです。
小出は話ベタな上に人見知り。さらにファッションなどというモノには縁も所縁もありません。ハッキリ言ってフツーに初対面の人と話した時、演劇の話題になったとしても言わなければ100人が100人とも「小出が踊る」とは思わないでしょうね。なので大方の世間の見方をすると「何者なんだろう?」と思われて当然だろう、と結論したわけです。
ここまで舞台、演劇と書いてきましたのでもうお判りかと思いますが、お察しの通り基本は舞台の人間です。この道に入る以前は日本料理の板前をやっておりました。普通に調理師学校へ入って卒業して、調理場へ勤めていました。
当時、自分はこのまま料理の世界で生きていく人間なんだろうな、と漠然とした未来は想像しておりました。

では何故なぜ舞台を?

料理の世界ってやっぱし上下関係の厳しい世界で、おまけにキツい業界なのは周知の事実。でも、それに嫌気がさしたわけでもないんです。
昔からアニメは普通に観ておりまして(逆に今のはあんまりわからない)、風呂入ったりした時に好きなキャラの真似してたわけです。ある時、「声優になろう」と思ったんですね。その時のオヤジ(親方ね)にも「若いんだからやってみな。ダメだったら戻って来い」と背中を押されて決意しました。大塚明夫さんとか、井上和彦さんに憧れていましたねー。
こうして声優の世界への輝かしい一本を踏み出すかと思いきや、いきなり道を踏み外します。
板前やめる直前、生まれて初めて自分で公演を調べてチケットを買い、舞台を観に行くという事をしました。下北沢の駅前劇場での公演だったと記憶しています。今でも覚えていますがその時思ったんですね。「俺も向こう側へ行こう」って。
で、板前をやめた春。勿論芸事に関しては右も左も分からないペーペーでございます。養成所に行く事になります。
その養成所は声優よりも舞台系の事をやっていまして、台本持って立ち稽古ばかりやっていました。
ところが御多分に洩れず一年半を過ぎた頃、周囲の雰囲気にのまれるのを嫌って「ここにはいられないな」と感じるようになります。
当時は新宿でアルバイトしてました。今のように舞台のチケット代金も高くはなかった時代だったから週に4本とか、土日はハシゴして、猿のように観まくってました。
この頃は役所広司さんとか椎名桔平さんなんかに傾倒してまして、色々観ていたわけです。このプロフィールを書いていて思い出したけど、無名塾のテストも受けてた。「どん底」とか観に行ったりしてたんでね、まあ、落ちましたけど笑。

とある公演との出会いが

ある日の事。バイト先のすぐ近くにスペースゼロって劇場がありまして、つかこうへい演出の「熱海殺人事件」という舞台をやる情報をキャッチしたんですね。その時はつかこうへいさんの名前は「蒲田行進曲」と一緒になんとなく知ってた程度で、ご本人が演出される舞台を観に行くのは初めてだったんです。観劇後の衝撃は今でも覚えています。この熱海殺人事件が、小出を舞台志向へ走らせる決定打になったのは間違いありません。しばらくは木村伝兵衛部長のマネばっかりしてました。
小出は単純な生き物ですから「つかさんのトコへ行こう」と思い立って養成所をやめます。
その日からオーディション当日まで毎日ランニングして発声やってストレッチやって、なんていうトレーニングを繰り返してました。が、結果的にオーディションには落ちるんです。
しかしこれが大きな転機になりました。何故かと言うと、ダンスの審査で落ちたからです。
「ダンスやろう、踊れるようになろう」と思いました。
思ったんだけどぶっちゃけダンスをバカにしていたんで、どんなトコに習いに行けば良いのか全く検討もつかない。
初めは役者友達の女子にくっついてバレエ教室へ習いに行っていました。ところが周りは女性ばかりで先生も女性。男は自分ひとり。皆さん分け隔てなく接してくれるし、今思えば全然問題ないのですが、当日の小出は地に足がついていない感じで、違和感を感じてしまったのを記憶しています。

本格的にダンサーになっていく

そこで、「男の人が教えてくれる所はないだろうか?」と考えて色々探すようになったんです。当時はインターネットあるにはあったのですが今のように速度も速くない上に、ダイヤルアップ接続なので時間対費用が高い。限られた時間内でしか検索をかけられなかった時代です。
仕方が無いので書店でケイコとマナブなどの情報誌を買ってきて、新宿のダンススタジオを調べました。たまたまURLが載っていたスタジオのサイトを覗いてみると、男性の先生がいるではありませんか?一念発起、電話して見学に行く事にしたんです。見学後、「これだ、俺はこれがやりたいんだ」と思いまして即入会。初めは会社勤めの方やOLさん達に混じって踊っていました。バイトを上がって夜はダンス、という生活を数ヶ月続けていたある日の事でこざいます。
そのスタジオには劇団がありました。僕がスタジオにレッスンへ行くようになる以前は、3回ほどギリシャ公演に出ているようなカンパニーです。芝居要素も勿論ありますが、ダンス要素バリバリ。小出がそれまでに観た事のないタイプの舞台を創っていました。
その劇団が夏8月の間、イギリス•スコットランドで開催される世界最大の演劇祭「エジンバラ•フリンジフェスティバル」に参加する。彼らが留守の間にスタジオ残留組で舞台の稽古をして、10月から一ヶ月の間、スタジオにて公演を打つ計画が進行してたんです。この公演に参加する事になりました。これが小出の初舞台です。ダンスを初めて約半年の事。
いただいた役は3つ。一人三役です。さらに半年後の翌年2月。一ヶ月間のオーストラリア公演に参加。それに声がかかりまして、正式に入団します。
それ以降

  • オーストラリアのアデレード1回
  • カナダのモントリオール1回
  • フランスのアビニョン2回
  • イギリスのエジンバラ2回
  • アメリカのニューヨーク3回

と巡らせていただきました。
お陰様でガーディアン紙、スコッツマン紙、バックステージ誌、ニューヨークタイムス紙等、ネットやTVでもとりあげていただきました。
各地の公演はおよそ一ヶ月。
フランスから直接イギリスへとハシゴして2ヶ月、一日3公演違う演目とかやってましたので、そりゃあ場数も踏ませていただきました。
海外の観客の反応とか、言葉の通じない環境でどうやって感じてもらうか、など色々と身につけられました。
しかし、それが何なんだよ、という事です。←ココ最後にまた効いてきますんで覚えておいてくださいよ。

個人の時代へ

そんなんを続けていますと、やっぱりお金使うんですね。ぶっちゃけますが海外公演の渡航費、現地での生活費は自腹でございます。ギャラ?何それ、美味しいの?みたいな感じです。
その為に夜中バイトしながら昼は公演の稽古。夜はスタジオの受付、不眠不休の生活なんぞやっていますからどうしたって卑屈にもなります。
劇団に属している以上は最低限行わなければならない量の仕事があり、締める所は締める。組織というのはルールや信頼があって成り立つモノと考えますが、それが徐々に緩くなってしまった。無法地帯になりつつあった。団体の体制にもいつしか息詰まりを感じるようにもなっていましたし、そういう気持ちになる自分にも嫌気がしていました。
さらに誰しもが直面する家族の事。この先、面倒を看なければならないのは自分以外にない。最悪の事態になった時は家族も舞台も失ってしまう。
「ここにいたら俺は社会的に死ぬ」と思って2012年の4月を以て11年所属した劇団を去る事を決意しました。

なぜ

勿論、他ではできないような勉強をさせていただきました。そんじょそこらの役者、ダンサーには真似できないスキルも身につけることができたと思っています。今の自分があるのも、厳しい指導と環境があったからこそです。
でも全て自分で責任を負って、リスクを少しずつでも打破していく生き方をしないと、ひとりの役者として、ダンサーとして、表現者として立つことはできない。そう考えた挙句の決断でした。
また、今後、舞台を続けていく事で自分から誰かに良い流れを回していきたい。
と考えるようになっていました。
その為にはやらなければならない事がたくさんある。

勉強して自分を磨く。ダンスや芝居のスキルだけではなく、コーチング、マーケティング、Webの知識。時間を作る為の自己管理術。面白いモノを作る。自分の培ってきた経験をフルに活かしての活動です。

行き着くところは

仕事をどっかから回してもらうんでなく、仕事をとってくるのでもなく、自分で生み出せるようになるのが目的でございます。
その場所、その人あっての仕事だと自分の力にならない。誰かの指示と意思で自分が動くよりも、全て自分の意識で動く事です。
勿論全部できる人間なんていやしません。小出の力なんぞたかがしれてます。ですが、このプロフィールに少しでも興味を持ってここまでで読み進めていただいた方に、感謝を伝えて生き続けていきたい。こんな小出ですがどうぞ絡んでやってください。

小出祐司

ダンサー、俳優。
Koideworksの主。現在、芸能事務所、及びプロダクション等、一切所属しておりません。

2000年よりCompany EASTの公演に参加。
イギリス、フランス、カナダ、オーストラリア各国の舞台に立ち2007年から2012年にニューヨーク公演に参加
2007年「王女メディア」、2009年の「ハムレット」、2012年「BUDDAHA」参加。「New York Times」「Back Stage」等のメディアに採り上げられる。
2007年にCreators Company UMを立ち上げ
2010年までに「ロクジュウニオクの記憶」「Innocent Life」「水のように 時には 火のように」「外道どもの行進」「革命の歌」の5作品を上演
2012年にCompany EASTを脱退。

ストレングスファインダーによる小出の特徴的な5つ資質
収集心・・・知りたがり屋なんだってさ。
学習欲・・・学ぶ事が好き。…らしい。
内省・・・・考える事が好き。頭脳活動を好むんだってー。
目標思考・・小出はどこに向かっているのか?と自問するのだそう。ノートには書いてるよ、確かに。
未来志向・・未来が小出を魅了する、との事。

活動履歴
2002 2 Company EASTオーストラリア公演
「王女メディア」アプシュルトス役

7~8月Company EASTフランス、イギリス公演
「金閣寺」三島由紀夫&脱走兵役
演劇ユニット「Witnessclub」結成。プロデュース、脚本、演出。
2007年の活動停止までに「サヨナラはいらない」「しあわせ はじめました」 「ki ke n na fu ta ri」 の3作品を上演。

2003 6~8月Company EASTカナダ、フランス、イギリス公演
「マクベス」門番&魔女

2007 2月Compny EASTニューヨーク公演
「王女メディア」乳母&子供役

2007 7月 ユニット「我我」結成
宮沢賢治の詩を題材に「告別」を上演。

2007 11月 「Creators Company UM」を旗揚げ
2010年までに 「ロクジュウニオクの記憶」 「Innocent Life」 「水のように 時には 火のように」 「外道どもの行進」 「革命の歌」 の5作品を上演。 主に脚本総指揮、振付、チラシ&パンフ、Webのデザイン、劇中曲の作曲を担当。

2009 2月Company EASTニューヨーク公演
「ハムレット」ガートルード&ホレイショー役 他

2010 4月 「美川憲一と愉快な仲間達」 演出/渡辺正行
東京公演/明治座 名古屋公演/中日劇場
美川憲一、渡辺正行、はるな愛、桜塚やっくん等とダンサーとして共演。

2012 3月Company EASTニューヨーク公演「BUDDHA」参加。

そのほか脚本、イラストレーション、ギターによる作曲を得意とする。

2012 4月をもって退団。以後フリーに。

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