四十肩に始まり、ジャズダンスレッスンに於いて「薄まった言葉」の行方を探す朝

四十肩に悩まされております。すでに一度目の波は去り、今回二度目。最初は今年の春くらい。これは酷くてほとんど腕が上げられない状態にまで悪化しました。アンバからアラセゴンに動かす時が一番キツイ。
何しろ、自分で振り付けたコンビネーションであるにも関わらず、右腕(悪い方ね)を使う動きができていない。無意識レベルで、痛みを避けるようになってしまったのでお医者様に診てもらった次第です。湿布薬の貼り方を教わった程度でしたが、踊りに不自由しないくらいまで回復しました。

しかしここ最近に二度目の波が到来しております。でも、一度目に比べてかなり小波。そこまで酷いわけではなく、コンビネーション中は不自由していません。
腕を横に開いたポジション。アラセゴンにキープさせたりすると、腕の重みに肩が耐えられていない感じ。
腕を動かす、あるいはキープさせる=脇とか背中とか、それこそ肩の筋肉がグリグリ働いているのは確かなようです。そういった確信も得られたまさに怪我の功名ってやつだね。少し安静にしつつ、リハビリも兼ねてルイジに励んだところ、少しずつ回復傾向にあります。
そんなこんなで、腕界隈ってのは不思議でございます。

「腕を動かす時に脇あたりを意識してみよう」

そんなふうに、自発的な稽古するようになったのはいつ頃だったかな?
おそらく、2010年よりも後で、遅くとも2012年に所属劇団を去る頃には明確に意識しながら稽古していたと記憶しています。
でも、それ以前にも「脇や背中」と言われていた記憶はあります。もっともこれ、小出個人や特定の誰かに向けられた指摘ではなく、先輩や後輩含めた稽古場全体に「薄めて」言われるのですが・・・。

薄まった言葉を頭で理解して、身体が無意識に繰り出せるようになるまでにどれくらいの時間がかかるかわからない。でも、無意識で繰り出せるってことは、言葉が頭から消え去った「無」状態だと思う。じつは、これが大事なのではないかな?

「頑張って頑張って、やった!できた!」

は、まだできていない。ただ平然と。淡々とやってのける。「やっている」自覚すらない。これこそがダンスであり。そこを目指そうじゃないか。
小出自身も、日々のレッスンではいわゆる指導する立場です。毎回観察をしてます。時には「指摘するべきか?」と思うこともあるのですが、あまり名指しでは言わないかなあ。どちらかというとやっぱり稽古場全体に「薄めて」言うことがほとんどです。なぜなら小出の目的は、みなさんを「悩ませること」だからです。頭ではなく、身体が悩むようにする。真綿で首を絞めるようなレッスンかもしれないね。
四十肩からレッスンの思想にまで話が及んだ朝でおます。こんな日もありっちゃあありだな。さて、振り付け構成ネリネリします。